2011年04月21日
◆1枚の写真
『「青年海外協力隊」に参加して
発展途上国の人達の力になりたい。』
まだ就活中だった私が母親に直訴しました。
『自分ひとりも食べさせられないのに
何が人のため…だよ。
ちゃんちゃら、おかしいよ。』
と一蹴されました。
確かにパラサイトな大学生だっただけに
何も言えず…。
それでも国際協力事業団の就職試験を受けましたが
みごとに落ちました。
当時、中国やタイの少数民族の村々をみて歩き、
自分がどんなに狭い世界に生き、狭い視野だったかが
よくわかりました。
現地では、高床式の住居に住み、水道も電気もない生活でした。

薬もなく、日々の農作業で頭が痛いという若いお母さんに
「薬をくれ」と言われて「バファリン」を差し出すしかありませんでした。
言いようのない無力感でフラフラになって
私まで頭痛で動けず、ひとりドミトリーで横になっていたものでした。
彼ら達に「何かできることはないか?」と
ムキになって考えたものです。
その結論が上の母との会話なのですが、
それもまた了見が狭かったようです。
その頃「本当の援助とは?」という類の本を読み漁った記憶があります。
本当に「人を助ける」とはただ手を差し伸べれはいい…だけではない
そこで暮らす人々が自分達で発展していく
そのために何ができるか???
当時の私にはその答えが見つからず
結局親の「望むところ」の一般の会社に就職した
という顛末でした。
そこが、私の原点かもしれません。
本当に相手のことを考えたら
ただ手を貸すだけじゃ、その人のためにならない。
その人が自分で人生を切り開いていける「力」を
つける手伝いをすること。
この写真が何気に出てきて自分の『原点』を
思い出させてくれました。
発展途上国の人達の力になりたい。』
まだ就活中だった私が母親に直訴しました。
『自分ひとりも食べさせられないのに
何が人のため…だよ。
ちゃんちゃら、おかしいよ。』
と一蹴されました。
確かにパラサイトな大学生だっただけに
何も言えず…。
それでも国際協力事業団の就職試験を受けましたが
みごとに落ちました。
当時、中国やタイの少数民族の村々をみて歩き、
自分がどんなに狭い世界に生き、狭い視野だったかが
よくわかりました。
現地では、高床式の住居に住み、水道も電気もない生活でした。

薬もなく、日々の農作業で頭が痛いという若いお母さんに
「薬をくれ」と言われて「バファリン」を差し出すしかありませんでした。
言いようのない無力感でフラフラになって
私まで頭痛で動けず、ひとりドミトリーで横になっていたものでした。
彼ら達に「何かできることはないか?」と
ムキになって考えたものです。
その結論が上の母との会話なのですが、
それもまた了見が狭かったようです。
その頃「本当の援助とは?」という類の本を読み漁った記憶があります。
本当に「人を助ける」とはただ手を差し伸べれはいい…だけではない
そこで暮らす人々が自分達で発展していく
そのために何ができるか???
当時の私にはその答えが見つからず
結局親の「望むところ」の一般の会社に就職した
という顛末でした。
そこが、私の原点かもしれません。
本当に相手のことを考えたら
ただ手を貸すだけじゃ、その人のためにならない。
その人が自分で人生を切り開いていける「力」を
つける手伝いをすること。
この写真が何気に出てきて自分の『原点』を
思い出させてくれました。
Posted by かんのんママ at 08:52│Comments(0)
│かんのんママ日記